1. 森川金寿「裁判所の友(アミカス・キュリアイ)」自由と正義1951年9月号33頁、34頁、森川金寿「裁判の民主的コントロール−アミカス・キュリィについて−」『裁判法の諸問題(上)兼子博士還暦記念』264頁、266頁(1969)、伊藤正己「Amicus Curiaeについて−その実際と評価−」『裁判と法(上)菊井先生献呈論集』129頁、132頁(1967)。
  2. アメリカでは、1946年から1995年にかけて、Amicus Curiae意見書が20以上提出された事件の種類は、中絶の権利、優遇措置(アファーマティブアクション)、死ぬ権利、懲罰的賠償、表現の自由、宗教の自由、ゲイの権利などである。Joseph D. Kearney & Thomas W. Merrill, The Influence of Amicus Curiae Briefs on the Supreme Court, 148 U. Pa. L. Rev. 743, 831-34(2000)( APPENDIX A).
  3. 最高裁昭和23年3月12日大法廷判決(刑集2巻3号191頁以下)参照。「憲法は、その制定当時おける国民感情を反映して右のような規定を設けたにとどまり、死刑を永久に是認したものとは考えられない。ある刑罰が残虐であるかどうかの判断は国民感情によって定まる問題である。而して国民感情は、時代とともに変遷することを免れないのであるから、ある時代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りうることである」との補充意見は、国民の意識に着目する必要があることを強調したものである。
  4. 最高裁昭和32年3月1日大法廷判決(刑集11巻3号997頁以下)参照。最高裁は「わいせつ文書」とは、徒らに性欲を興奮または刺激せしめ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものと定義したが、普通人の正常な性的羞恥心を害するかどうか、善良な性的道義観念に反するかどうかは、市民の意識の問題であって、ここでも市民の意見が判断資料とされるべきである。
  5. 死刑が憲法36条の残虐な刑罰の禁止に違反しないとする最高裁判決の補足意見は、「裁判所としては、死刑を適用するときは、常にその時代と社会の状況及び犯罪と刑罰の均衡に対する国民の意識の変化に着目して、死刑が残虐と評価される余地がないかを検討すべきである」と述べ、国民の意識を考慮する資料を検討しているが、この国民の意識に関する信頼すべき資料は十分とは言い難いとの前置きがある。最高裁平成5年9月21日第三小法廷判決補足意見(裁判集刑事262号421頁)大野正男『弁護士から裁判官へ』167頁、168−177頁(2000)参照。
  6. 廣瀬正幸「現代の米国特許訴訟における公正かつ公平な裁判のための第三者の役割−amicus curiaeとlegislative facts」『企業法学』5号292頁、302頁(1996)によれば、アメリカでの特許訴訟において、松下電器産業は米国松下電器と共同でアミカス意見書を提出している。アメリカにおける日本企業のAmicus Curiaeは今後増える可能性をはらんでいる一方、日本においては外国企業の裁判への参加の場はない。
  7. 小島武司『民事訴訟の新しい課題』76頁(1975)参照
  8. Lee Esptein, Interest Group Litigation During the Rehnquist Court Era, 9 J.L. & POL. 639, 650(1993)は、レーンキスト・コートは1990年にAmicus Curiae意見書の提出許可の申立てのあった115件のうちたった1件のみ許可しなかったことを報告している。アメリカではほとんどすべてのAmicus Curiae意見書の提出が認められているのが現状である。
  9. 田中英夫・竹内昭夫『法の実現における私人の役割』98頁以下(1987)参照。小林秀之『新版・アメリカ民事訴訟法』100頁以下(1996)参照。連邦司法省の公民権部は、国民の人権擁護のための種々の活動を行っており、裁判所の友として意見を述べることもあり、社会的影響力を有する。 て意見を述べることもあり、社会的影響力を有する。